病弱なジム少年は海に強い憧れを持ちながらも、
"海坊主のキム"、"おっかあ"、"酔いどれマドロス達"と、
赤いランタンの吊られた酒場「地獄亭」で、
海に出れない毎日を送っていました。
そこに、今では幽霊船となった「棺桶丸」の"船長"が
ラム酒の瓶を抱えてやってきます。
船長は、なんだかビクビクふるえていました。
「一本足の船乗りに気をつけろ…」
様子のおかしい船長の姿に、首をかしげるジム少年達。
その直後、なんと船長は、
2人組の殺し屋"二本指"と"黒犬"に殺されてしまいます!
2人組の殺し屋は地獄亭にも乗り込み、大暴れ!
しかし、そこで助けてくれたのは、
オウムを肩に乗せた、人のよさそうな船乗り"シルバー"でした。
そして、船長が残したトランクの中には、
宝島の地図と、暗号が残されていたのです。
2人組は、これを狙っていたのでした。
宝の地図を見つけても、ジム少年は冒険に出ることをためらいます。
そんなジム少年に対して、シルバーも地獄亭のみんなも、
「どこかに どこかに きっとある しあわせの島 宝島
みんなで探しにでかけよう」と後押しします。
そうして、みんなで暗号の解読と、宝島を目指して冒険の旅に出発します!
スティーブンソンが書いた「宝島」は、
冒険をしたジム少年が大人になって、
冒険を振り返った形で書かれた小説です。
その作品を寺山修司は、
病弱なジム少年と、彼を囲む一見愉快な、
不思議な仲間達との日々を描いています。
海を一度も見たことのない病弱な少年。
それは、幼き日の寺山修司の姿に重なります。
寺山修司は1941年に、当時5歳の時に父親が戦争のため出征し、終戦後の1945年に父親の戦病死を知らされます。その後、母親が米軍基地で働き、12歳の時には母親も九州へ転居し、寺山は映画館を経営する叔父の家へ預けられることとなりました。父親と母親と共に過ごすことにできない少年時代を過ごし、高校在学中に短歌を発表し注目を集めます。しかし、1955年ネフローゼとなり、3年間の入院生活を送ることになります。
退院後はその才能を発揮し、短歌の世界にとどまらず、流行歌、演劇活動、映画、競馬、批評、対談、ボクシングなど、ありとあらゆる表現を行いました。
宝島は、1965年頃に書かれた幻の児童劇として、音楽と謎解き、言葉遊びを取り混ぜた作品です。